レンタルめもりーず/村田侑衣
3分で読めるSF恋愛小説
思い出をレンタルしてくれる店がある。そんな噂を耳にした僕が一番に思い浮かべたのは由紀の顔だった。
「一緒に海を見たい」
交際を始めて二年と少し。真剣な表情で何かをお願いされたのはあの日が初めてだった。余命宣告を受けた彼女が口にした願い。……叶えてあげられるかもしれない。そう思った僕はすぐに噂の店を訪れた。
今にも崩れそうな外観に不安を覚えつつ店内に入ると、初老の男性が小さなパイプ椅子に座っていた。おそらくこの人が店主なのだろう。
「思い出をレンタル……作って貰えると聞いたのですが本当ですか?」
こちらに気付いた男性は「いらっしゃいませ」と小さな声で言って立ち上がった。
「いえ。お見せするだけです。十分間、お客様の望む光景をお見せ致します」
違いは分からなかったが正直なところ何だってよかった。
*
由紀を乗せた車椅子を押して店を訪れた僕は、入口の前で立ち止まった。
『体への負担を考えると実際に海に行くのは難しい』
先生の言葉を聞いて酷く落ち込んでいた由紀は、果たしてこれで満足出来るのだろうか。「ここだよ」頭に浮かんだ余計な不安を隠すように笑顔を作る。
扉を開けると店主は同じようにパイプ椅子に座っていた。由紀の顔を見て小さく一度頷いた僕は、真っ直ぐに店主を見て願いを伝えた。
「お願いします。二人で海に行きたいんです」
「かしこまりました」
店主は壁のスイッチを二度押して頭を下げた。点滅する照明。瞬きとともに世界は姿を変えた。
薄暗い店内に居たはずの僕は、いつの間にか輝く青空の下に居た。目の前に広がる砂浜。耳を擽る波の音。鼻を抜ける潮風。その景色の中で、もう走ることが出来ないはずの由紀が昔のように駆け回っていた。キラキラと光る波を背景に、ただ楽しそうに。
「ねえ。私もうすぐ死ぬの」
セリフに合わない眩しい笑顔を浮かべた由紀は、どこか吹っ切れているように見えた。
「うん……知ってる」
「なんで私なのかな?」
「……なんでだろうな」
余命宣告を受けてからここに来るまで由紀は一度も笑顔を見せなかった。死が迫っているのだ。本人の気持ちを考えれば笑えないのは当然だとは思うが。
「もっと一緒に居たかったなー」
「そうだな」
そんな由紀が笑っていることが、ただ嬉しかった。
「ふふっ。本当に思ってる?」
「ああ」
僕はきっと願いを叶えてあげることが出来たのだ。
「なんで病気が分かってからもそばに居てくれたの?」
「……なんでだろうな」
歯切れの悪い答えに「もう。相変わらずね」と笑った由紀は、波打ち際で手招きをした。近付く僕。耳元で「ありがとう」と囁いた由紀はもう一度笑った——。
「素敵な光景を見ることが出来ましたか?」
店主の声で僕の意識は現実に戻った。「はい……」いつの間にか店内へと切り替わった視界。頭を下げたままの店主に問いかける。
「一つ聞かせて下さい。どうしてレンタルなんですか?」
ようやく頭を上げた店主は柔らかな表情で微笑みゆっくりと口を開いた。
「レンタル……ああ。私はお客様が望む光景を一時的にお見せしているだけです。ただ見せているだけ。それが思い出として残り続けることはないので」
「ちゃんと残ってますよ?」
先ほど見た光景。見たかった景色は今も確かに僕の中にある。
「それは、ただの……映像ですよ」
優しい顔のまま視線を合わせずに「その体験を実際にしたわけではないのですから」と呟いた店主の瞳は、どこか寂しさを含んでいる気がした。
「あの……ありがとうございました。帰ります」
何となく居心地が悪くなった僕は財布に手を伸ばした。扉のすぐ横にある古い型のレジで支払いを済ませ、もう一度お礼を言って店主に背を向ける。「私からも一つよろしいでしょうか」扉に手をかけた僕に、店主は声を掛けた。
「どうして、海に行くだけの光景ではなかったのですか?」
薄暗くなった一人の帰り道。無言のまま店を後にした僕は、街灯に照らされる梅の花を前に立ち止まった。
——今日の記憶も、いつか思い出に変わるのだろうか。微かに芽生えた罪悪感に目をつぶる。
「これで良かったんだ」
僕が欲しかった思い出……由紀の願いを叶えてあげることは出来たのだから。心の中で自らを必死に肯定する。誰に向けたわけでもない言葉はゆっくりと夜に溶け、やがて消えた。
〈了〉
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